宮津のイベント・歳時記

宮津まつり

5月13日から15日は、宮津まつりが行われます。この3日間は、宮津の男たちにとって、いっさい仕事をしない夢のような日々です。

宮津まつりは、西側の山王宮日吉神社と和貴宮神社の祭礼として、開かれ祭礼で、かつては別々に開催されていましたが現在は5月15日に

統一して開かれています。それそれの氏子が、神輿、神楽、浮き太鼓で練り歩きます。5月13日、宵宵宮が午後神楽がまちなかを巡行します。14日の宵宮は、神楽と浮き太鼓が終日練り歩きます。そして、15日、朝奉納に始まり、神楽、浮太鼓、神輿の順に出発します。

まちなかは、一日中笛や太鼓の音につつまれ、クライマックスは午後10時田町通りを練り歩き戻ってきますが、時間通りにはなりません。

日が変わる頃、鳥居にさしかかりますが、なかなか入りません。いったん入ったかと思うと戻ってきて、鳥居の前で一周。

神楽、浮き太鼓の奉納は夜中まで続きます。

加悦谷まつり

加悦谷に春を告げる「加悦谷まつり」が開催されました。

二日間にわたり、各町内で芸屋台、太鼓屋台が神楽や祭り囃子とともに練り歩き、各地の神社で奉納が行われました。

4月29日(日)ちりめん歴史館前にて。

但東町チューリップまつり

4月26日~5月6日。但東町の休耕田を利用したチューリップ祭りもすっかり名物となり、京阪神からも多くのお客様が来られています。

70万本のチューリップが咲き乱れ、今年のフラワーアートは、「元気ダルマ」です。

昨年、大震災や原発事故と暗い世相を元気に応援しようとの願いが込められています。

チューリップの球根販売、見本市、写真コンテスト、ふれあい牧場、特産品の販売も行われています。

ゆるキャラ「はばたん。」も子供たちに人気でした。

春の歳時記

山王宮日吉神社では、江戸時代宮津藩藩主永井尚長候が命名した含紅桜(写真左)が今年も300年の時を経て咲きました。

また、永井氏が命名した宮津市の花でもある「みつばつつじ」が、獅子崎の雪舟観で見ごろをむかえています。

今年は、桜が遅れ桜とのコラボレーションになりました。

みつばつつじは、葉が小さい「コバのみつばつつじ」です。

滝上公園さくら祭り

4月13日(金)14日(土)15日(日)今年は、雪が多く春の訪れが遅れていましたが、ようやく桜が咲き始めました。

桜の名所、滝上公園では5年ぶりにさくら祭りが開催されました。

連日、11時ー21時。少し寒いですが夜桜見物もできました。

今福の蛇綱

1月19日(木)宮津市今福地区では、無病息災を祈る伝統行事「蛇綱」が今でもかかさず行われています。

前日、稲藁を編んで長さ6メートル、重さ40キロの「蛇綱」を作ります。これを今福蛇綱保存会の方々5名で持ち上げ

村々の家を1軒づつまわり、蛇に頭をかまれると1年間無病息災で送れると言われています。

当日は、上宮津小学校の児童たちも先生に連れられてきました。(写真左)

午前9時半、今福公民館を出発して(写真中)、各家を回りました。(写真右)

その後、近くの神社の大木にまきつけられ、1年間村人を見下ろしているそうです。

2012年1月19日 今福の蛇綱より

岩滝の大名行列

下に、下に、♪ 殿のお通りである、頭が高~い。・・・

11月13日(日)岩滝に大名行列絵巻が出現しました。

江戸時代の中ごろ、出石藩が減封により、大名行列が組めなくなり不要になった道具を岩滝の豪商が買い取り始めたのが大名行列です。

最初は、3年毎、10年、20年となり、戦後は昭和35年に復活。それから31年ぶりに、平成3年岩滝町制70周年に復活、80周年に

そして与謝野町になり5年目に毎年開催されているオータムフェスタとの同時開催です。

午前10時、コメリ岩滝店を出発した一行。見物を担いだ人足風の駄荷を先頭に、弓、やりを持ち独特な「奴歩き」を披露。馬に乗った

お殿様、奥方、腰元、姫の供の行列がつづき、総勢300人のボランティア。

セレモニーでは、鉄砲の名手。岩滝出身の稲富一夢斎が、細川氏や徳川家康などに鉄砲指南として大きな影響を残したのにちなみ

鉄砲披露。午後には、岩滝役場まで行列を披露して、また10年後です。

2011年11月13日 岩滝の大名行列より

 

赤ちゃん初土俵入り

10月10日山王宮日吉神社の接社杉末神社の秋の祭礼、赤ちゃん初土俵入りが行われました。

京阪神各地から参加者があり、ほぼまる1日行われていました。

生後半年から2歳までの赤ちゃんが、神様と相撲をとり土俵際まで押され尻もちをつく。

鳴き声が大きければ、健康に育つそうです。小さいころで本人は記憶がないでしょうが、

大泣きしている赤ちゃんが多かったです。

介添えの人も丸一日、土俵を赤ちゃんをかかえ、御苦労様でした。

10月10日 赤ちゃん初土俵より

和火2011 語り部競演

10月7日(金)~9日(日)宮津市寺町一帯で、和火(やわらび)2011が開催されました。

今年は、わがアテンダントにも企画の段階から参加して、昨年までの各寺院の待ち受けガイドから創意工夫した企画を実行委員会から求められ。

「お宝探検ツアー」と語り部「大河ドラマ江と城下町宮津の浅からぬ縁」と題して企画しました。

「お宝探検ツアー」は、本部テント前に18:30と19:00と19:30に集合してもらった方をガイドが日頃見られないお寺の

宝物をご案内する企画で、行く先はすべてガイド次第のミステリー企画です。

語り部は、わがアテンダントのもうひとつの事業である。本妙寺で20時から開催しました。

トップバッターは、藤原さん。女性目線で見た、大河ドラマと宮津の寺町の関係を紹介。(写真左)

続いて、四方会長(写真右)が、京極氏の起こりから宮津の寺町ができた様子をわかりやすく詳しい資料に基づいた語り部でした。

2011年10月7日~9日 宮津7万石城下町和火2011 より

第二回宮津キャッスルハッスルダンボール舟レース

今年も夏休み最後の日曜日、8月28日に大手川におきまして開催されました。

勘左衛門カップと題した、ダンボールレースには61隻、71名が参加され、この日のために鍛えたチームやパフォーマンスを披露する

チームなどが参加しました。勘左衛門とは、戦国時代末期秀吉亡きあと、細川忠興本隊が留守のすきに石田光成方が攻めてきたとき、

細川幽斎、女子供問わず、田辺へ逃がしたときに活躍した漁師。彼の功績で、あの田辺籠城戦に臨めることができました。細川幽斎より

太刀一振りと海へ抜ける一本道を与えられたそうです。今でも勘左衛門通りと名のつく通りがあります。今回の賞品には太刀が贈られる

そうです。

段ボール船もかなりこったものもあり、紅の豚の飛行艇や宇宙戦艦ヤマトを作ったチームがあります。ポルコの操縦で大空へ羽ばたいて

行くか。・・・(写真左)。競技は、一般の部、ジュニアの部(写真中)、二人乗りの部がおこなわれました。

人気のゆるきゃらたち(写真右)も暑い中応援に来ました。左から舞鶴の「ゆうさいくん」。宮津の「かさぼう」。国民文化祭応援隊長

「ゆきまろ」です。

市役所では、桔梗の会の「ガラシャの展示」や龍谷大学の東北応援イベント「福島の物産展」があり、売上金はすべて寄付されるそうです。

ダンボール舟にも、「がんばろう日本」と書かれた舟が多かったです。

大手川ふれあい広場では、楽食楽宴のテントが14梁。宮津バーガーやカレー焼きそば、アカモクなど宮津の特産品を使った屋台が出展

していました。

2011年8月28日 宮津キャスッルハッスルダンボール舟レースより(現在開催されていません)

宮津燈籠流し花火大会・総おどり

8月15日・16日は、宮津最大のイベント、燈籠流し花火大会が行われます。細川氏の入国で始まった宮津の城下町は、江戸時代にお盆で迎えた

先祖の霊を、あの世へ送るためにささやかな供物を舟に乗せて流したのが、始まりだそうです。いつしか、赤や白の燈籠を流すようになり、その数約1万基にもなり、その幻想的な美しさが日本三大燈籠流しと言われます。 

初盆を迎える家では、精霊舟(せいれいせん)という供養船を朝家の前に飾り(写真右)お盆で迎えた亡くなった方、ご先祖の霊を送り出す儀式を済ませます。そして、宮津桟橋まで引いてくると、宮津桟橋より流します。精霊舟は、沖合で燃やされ、その燃え方で霊があの世へ行けるといわれます。花火大会は、宮津に国鉄が開通した大正13年に始まります。島崎公園の沖合から3000発の花火が夜空を彩ります。

燈籠と花火が同時に見られるのは、ここ宮津だけです。

15日行われる市民総おどりは、宮津節を各町内会、会社、学校、各種団体が個性豊かな連が踊り歩きます。宮津節は、明治時代、鉄道の恩恵からはずれてしまった宮津が、鉄道誘致運動のため江戸時代、北前舟で賑わった頃を思い出し、市民心を合わせるために作られたといわれます。

かつては、宮津駅より本町通りを市役所まで練り歩いたそうですが、現在は島崎公園で行われています。(写真中)

今年は、アテンダントより宮崎さん、村井さん、小林さん、迫田さんとそのご家族、谷口さんと島田、外人さんの飛び入りもあり

栄えある参加賞を頂きました。(写真右)

2011年8月15日 宮津燈籠流し花火大会・市民総おどりより

千日まいり

古来、8月9日は「千日まいり」といい、千日分のご利益があるとされます。丹後では、久美浜の如意が有名ですが今回は成相山成相寺を紹介します。西国三十三観音霊場である、成相寺は古来、伊豆の走湯、信濃の戸隠、駿河の富士の山、佐伯の大山、丹後の成相と霊験を受けることのできる代表的な霊山です。

午前11時、本堂では大施餓鬼供養が行われ、(写真右)先祖代々霊位の供養、近年亡くなられた身内の方、知人の方、水子の供養が行われました。

8月9日は、長崎原爆の日になり、東日本大震災の犠牲者への冥福を祈られました。

五十の塔の前では、山伏しによる柴燈護摩祈祷が行われ、綱を張った結界の中でほら貝、太鼓を打ち鳴らし大火が炊かれた。

最高気温35度のただでさえ、暑い日に行われた火の修行でした。最後に、参拝者が結界の中に招かれ祭壇にお参りしてお札をもらいました。

最後に、盆踊りの始まりについて法話がありました。

2011年8月9日 成相寺 千日まいり

2011炎の架け橋

8月7日(日)天橋立で、炎の架け橋が開催されました。宮津市市制40周年で開催されたこのイベントは、天の浮橋伝説に出てくる男女の神がであったこの地で、カップルの門出を祝うをテーマにして続けられました。近年のパワースポットブームとあいまって、盛り上がってきたようですが、

今回で最後なのです。

台風が近づいているせいか、とても蒸し暑い日でした。午後1時元伊勢籠神社で、鑚火式(写真左)が行われました。古式にのっとた木を摺合せ火をおこす作業は、炎天下の中大変でしたです。ローソクに移された火は、この日の主役のカップルへ渡されました。

小天橋特設ステージでは、フラダンスの大会が開かれ、ゆかたフォトサービスが行われました。本部テント(写真中)では、七夕の短冊に願いを募集してました。大震災のあった年のせいか、家族の平和や絆を願った短冊が多かったです。

午後6時半、暑かった一日もようやく涼しくなり、籠神社をベロタクシーで出発したカップルは3キロの道のりをゆっくりやってきました。

本部テント前で、拍手とクラッカーで出迎えられました。(写真右)

午後7時20分、1番松明にカップルが、火を点火します。(写真左)順次、200本の松明に点火されます。

このイベントで、一番気を使うのは松明の火が飛び火して、松が焼けてしまうのが心配され、消防車がまるで出初式のように頻繁に往来しています。

国定公園内で、火を使うことで許可が大変だったそうです。(写真中)

すっかり日が暮れた午後8時過ぎ、水上のいかだから花火が打ち上げられました。(写真右)砂浜に座る人、海に浸かっている子供やらフィナーレの花火に歓声があがっていました。滋賀県から来た家族つれも運がいい日に泊まりに来たと喜んでいましたが、これが最後とは残念がっていました。

この後、智恩寺境内ではコンサートがありました。

炎の架け橋は、これで最後ですが、せっかく盛り上がってきたので、何か変わるイベントが望まれます。

2011年8月7日 天橋立 炎の架け橋より(現在開催されていません)

第28回 金引の滝まつり

7月27日、日本の滝100選に選ばれている「金引の滝」では、金引の滝まつり実行委員会・宮津観光ピント会主催の「金引の滝祭り、ひぐらしコンサート」が開かれました。

かき氷、焼きそば、焼き鳥、さざえのつぼ焼き、ビールやジュースなど地元の方屋台が、開演前のお客様の胃袋を満たしてました。

ペットボトルの万燈籠が点火されると、巫女さんに扮した女性による採火の儀が行われました。大松明に照らされた滝の前の舞台では

「ひぐらしコンサート」が開かれ、滝が青い明りでライトアップされます。日が暗くなると幻想的な雰囲気となります。

昔、金引の滝には、悪い鬼が棲みつき、村人に無理難題を押し付けてきました。困り果てた村人は、不動明王におすがりしました。

不動明王は、鬼を退治して、大変喜んだ村人が始めた祭りです。

和太鼓と笛の幻想的な音が、響きわたる中、舞台では巫女の舞がおこなわれました。

コンサートは、地元伊根町出身の「QU-E」の歌声が響きます。大阪マラソンの応援ソング「ラストランナー」

今年は、震災があったからこそ、命の尊さ、平和の歌などが会場のお客様に響いたでしょう。

「岩戸開き」の儀。うずめに扮した永濱悠伽さんの舞が披露されました。客席の中まで歩きまわる舞で、思わずアマテラスが岩戸から覗いた

ことでしょう。

金引の滝へお越しの方へ

駐車場が少ないです。宮津高校バス停より徒歩15分。宮津ぶらりんぐセンターで自転車を借りるのが便利です。

尚、急な階段がありますので、ご注意ください。

2011年7月30日 金引き滝まつりより(現在開催されていません)